特別セミナー報告(2017年7月8日) 「移動と人権:入国管理収容問題を人権の立場から問いなおす」

Mobility and Human Rights: Interrogating Immigration Detention

高村先生
高村先生 McGill University

早稲田大学国際教養学部の11号館にて、無国籍ネットワーク及びマギル大学国際開発学研究所との共同で「移動と人権:入国管理収容問題を人権の立場から問い直す」と題し、特別企画セミナーを行った。本セミナーの趣旨としては、入国管理収容をめぐる諸問題、とりわけ入管収容制度の実態、法的保護から排除された外国人収容者の状況、そして収容が解かれた後も国家の厳しい監視下に置かれた仮放免者の方々の状況について、入管収容に詳しい方々にお話を伺うということにあった。今回、お話をしてくださったのは、 難民の入管収容、強制退去など外国人の人権問題について長年取り組んでいらっしゃるマイルストーン総合法律事務所の児玉晃一弁護士、外国人収容問題や仮放免者の支援に積極的に取組んでおられる市民団体「BOND 外国人労働者・難民とともに歩む会」の事務局のメンバーである工藤貴史氏、そして「仮放免者の会」の会員であり過去2回収容経験を持つA氏の3名である。なおこのセミナーの開催にあたってはトヨタ財団からの研究助成金の一部を使用した。

 

児玉先生
児玉先生

最初の話者である児玉晃一弁護士からは、大きな法的枠組みとしての入管収容制度及びその法的矛盾点についてご説明いただいた。日本の入管収容制度においては退去強制事由に該当すると判断された外国人に対しては、人道的な配慮が必要なケースを問わず、すべて収容するという全件収容主義という立場をとる。このため 例えば難民性の非常に高い場合であっても長期的収容を強いられる。児玉弁護士によれば現在の入管収容制度のあり方そのものが、「在留資格を持たない外国人の人権は認めない」という日本の入管法の姿勢を示すものであり、この考え方は基本的人権の保障を規定した日本国憲法に反する。児玉弁護士は、外国人の人権について本来絶対的な優位性を持つ憲法の人権規定ではなく、むしろ入管法が事実上優先されていることを指摘されていたが、これは入管収容制度そのものの法的矛盾点を端的に示すといえよう。また児玉弁護士からは 入管収容制度の国際比較という視点から、収容者の人権を大きく配慮したイギリスの入管収容施設の様子をご報告いただき、日英の外国人の人権配慮の大きな違いが浮き彫りとなった。最後に児玉弁護士が、収容という強制的な身体拘束について「個人の生命を奪うことに次ぐ重要な人権侵害」であると位置付けた東京地方裁判所の藤山裁判長の言葉を引用されたのが非常に印象深かった。

 

工藤さん
工藤さん

二番目の話者である工藤貴史氏からは、支援者側の立場から実際の入管収容施設に於ける収容者の日常、及び収容を解かれた後も仮放免者として困難な法的地位に置かれた方々の状況について、大変具体的な報告をしていただいた。まず入管収容施設、特に東日本入国管理センター(通称「牛久入管」)における日常的人権侵害の状況について様々な点が指摘された。主な問題としては、収容者の身体の移動の自由が極端に制限されている点、長い収容を強いられ精神的ストレスから体調を崩す収容者が非常に多いという点、それにもかかわらず収容施設内での医療体制が整っておらず、体調の異常を訴えても医師に診てもらえない、十分な治療が施されないという医療ネグレクトの現状があげられた。今年の3月に東日本入国管理センターで発生したベトナム人収容者の死亡事件は、まさに入管収容施設に蔓延する医療ネグレクトが原因であったと指摘されている。また収容問題と密接に関わる点としてあげられたのが、仮放免者の状況である。仮放免とは一時的に収容が解かれる状況を示すが、常に移動の自由が制限され、しかも就労の権利も、健康保険もないため、収容が解かれた後も、人としてごく当たり前の生活ができない。また仮放免者は頻繁に(一ヶ月あるいは二ヶ月に一度)品川の東京入管に出頭し、仮放免を更新することが義務付けられている。ここ数年では特に仮放免者に対する入管の規制管理が厳しくなり、就労の事実や、許可なしでの都道府県間の移動を理由に再収容となる事例が増えている。工藤氏によればこうした仮放免者の数は3500名にも上るという。一般的に入管収容は、仮放免とは別の問題として捉えられるが、工藤氏の指摘するように、仮放免は収容の継続として考える姿勢が非常に重要であると考えさせられた。

最後の話者であるA氏からは、収容を実際に経験した当事者側の立場からお話を伺った。彼は収容を2度経験し、現在は仮放免者としての生活を強いられている。A氏は東日本入国管理センターでの収容経験について、入管職員による非人道的な扱いの様子を お話くださった。例えば職員からは毎日のように「お前ら日本にいる権利はない」「帰れ」と言われ、収容者に対する暴言は日常茶飯事であったという。また収容者が身体に痛みや異常がある場合、医師による診断を希望することができるが、実際には2、3週間待つことが多く、しかも医師が処方してくれるのは簡単な痛み止めだけであったという。つまり収容者は通常の患者としての取り扱いを医師から受けることはない。これは工藤氏が指摘する医療ネグレクトの典型的な事例であり、収容者は人ではなく、国から排除するべき対象として扱われていることがわかる。A氏の場合は、持病の問題だけでなく、2度にわたる長期収容によって精神的ストレスが悪化し、仮放免中の現在は、収容をきっかけに悪化した病気と闘う毎日であるという。このように収容中の医療ネグレクトだけでなく、長期収容による精神的なストレスによって、身体や心の病を悪化させるケースが非常に多く見られるということも入管収容問題を考える上で忘れてはならない点である。また仮放免中の身では健康保険がないため、収容中に悪化した病気を治療することがままならない。A氏の場合、収容所内で持病が悪化し、仮放免になった後に手術をする状況までに至ったが、健康保険もないため、多額の借金を抱えることになったという。 仮放免者は働くことも、自由に移動することもできず、健康保険もない状況に置かれ、 病気の治療を受けたくとも病院に行くこともできない。A氏は仮放免中の現在の身について、生きる権利が否定され、いつまた収容され強制退去になるか分からないという「グレーゾーン」を生きているという。この「グレーゾーン」という言葉は、生きる権利を否定された当事者から発せられるからこそ、その重みを実感することができるのだと感じた。

このような収容者及び仮放免者の「生存権の否定」の問題については、会場の参加者からもご意見をいただいた。在留資格を持たない外国人に医療サービスを提供している北関東医療相談会の理事長である長澤氏及び事務局の加藤氏が本セミナーに来てくださったが、長澤氏は、質疑応答の中で、 オーバーステイとなった外国人や仮放免者には基本的な「生存権」がないという状況を医療支援者側の立場からお話くださった。特に印象深いケースとしてあげてくださったのは、仮放免中に売春をすることで生計を立てていたあるアフリカ系の女性の事例であった。この女性は妊娠したことがわかり、産婦人科での診断を求めたが、在留資格がなく健康保険もないこと、父親が誰であるかわからないことなどを理由に、医師の診断そのものを拒否されたという。長澤氏はこのような在留資格のない外国人が基本的な医療を受けられないという状況について「法が人を守るのではなく、法が人を弾いている」と述べておられた。収容者や仮放免者など当事者の実際の経験から明らかになることは、児玉弁護士が指摘されたように、国家が入管法の下に、在留資格のない外国人の基本的生存権を否定することのできる制度を作り出したということである。 無国籍ネットワーク代表の陳教授が「一体、我々はどこに助けを求めればよいのか」と述べておられたが、これは、在留資格のない外国人の人権を認めずむしろ排除するような法制度と長年闘ってこられた支援者側の率直な言葉であるといえよう。

 

OLYMPUS DIGITAL CAMERAなお、本セミナーにはご参加いただけなかったが、15年以上にわたり、毎週のように東関東入国管理センターの収容者を訪問し、支援を行なっている方々を紹介したい。牛久入管収容所問題を考える会の田中喜美子氏、そして牛久友の会の代表のマイケル・コールマン神父である。田中氏は、つくば市でカフェを経営する傍ら、毎週水曜日の定休日を利用して、20年近く収容所の訪問を続け、また収容が解かれた仮放免者の方々、とりわけクルド人コミュニティの支援も行なっている。一方、コールマン神父は今年で84歳になるが、北関東医療相談会の加藤氏とともに、収容所の毎週の訪問、差し入れ活動を続けている。在留資格のない人々の人権が制度的に否定される状況において、こうした地道な人道的活動されている様々な支援者の姿を通して、人権の重みを学ぶことができるのではないかと感じた。

今回のセミナーは無国籍ネットワークの連続セミナーの一環でもあったが、陳教授が指摘するように無国籍の方々の入管収容問題及び仮放免の問題は、帰る国、保護する国家がないという点からも非常に複雑となることも忘れてはならない。最後の点として取り上げておきたいのは、入管収容問題は、日本だけの問題ではなく、これは国際的な視点から考えていかねばならないという点であり、児玉弁護士が指摘されたような比較の観点をもっと取り入れることが必要である。国連の世界人権宣言の第3条では、法的地位にかかわらずいかなる人々にも平等に生きる権利、自由の権利、安全が保障される権利が与えられるべきであると明言されている。民主主義であるはずの日本ではこうした基本的権利が必ずしもすべての人々に平等に与えられていない。本セミナーで議論の焦点となったのは在留資格のない方々の「生存権」の問題をいかに改善していくことができるのかという点であったが、生存権が否定された人々の存在、そしてそれが法によって当たり前のことになっていることの「非人道性」をより積極的に社会に問いかけていく場を創り出すことの重要性を感じた。

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アウン・ティンさんの語り 文責:山村淳平    

5月27日におこなわれた連続セミナー第1回「ビルマ・ロヒンギャのゆくえ」において、アウン・ティンさんがかたられた内容をここにまとめます。

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― ビルマでは、どのような暮らしをしていましたか。

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わたしは、1968年のアラカン州モンドーにうまれました。6人兄弟の4番目です。父は警察管でした。当時ロヒンギャは、軍人にも、警察管にも、採用されていました。学校ではサッカー、バレーボールなどで一緒にあそんだりしていましたし、仏教のお祭りやムスリムのお祭りなどでは、おたがいに行き来していました。民族の差別は感じませんでした。

20歳(1988年)の時、おおきな事件がおきました。民主化運動です。わたしはそれに参加し、デモをおこなっているところを警察につかまりました。保釈されましたが、実家にすんでいると、警察や軍隊につかまる恐れがあるので、田舎の親戚や、学校(空いている教室がある)などを転々としました。

その後ヤンゴン市で民主化活動にふかくかかわるようになったので、かなり危険でした。そこで、パスポートをつくってもらい、ビルマを出国し、タイとマレーシアを経由して、、サウジアラビアに住むようになりました。

サウジアラビアのお店ではたらいていていても、民主化活動のおもいはつよくありました。たまたま在日ビルマ人協会(民主化活動の団体)のニュースレターを読み、日本ゆきをつよく希望しました。すぐに日本大使館で3か月の観光ビザをもらい、92年日本にきました。

― 来日後、どのように過ごされましたか。

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茨城県のロヒンギャ系バングラデシ人のお世話になり、導線をつくる工場でアルバイト生活するようになりました。毎日日本語の勉強をしていると、日本人の同僚も親切に仕事や日本語をおしえてくれました。在日ビルマ人協会にパスポートのビザ切れや難民申請を相談したところ、「難民申請すれば、入管(入国管理局)につかまり危険」といわれました。

その後埼玉県大宮市にうつり、塗装やクレーン作業のアルバイトをするようになりました。難民申請していないので、オーバーステイ(非正規滞在)の状態がつづいていました。OLYMPUS DIGITAL CAMERA

94年、ロヒンギャの存在をしってもらうため、在日ビルマロヒンギャ協会を仲間7人ともに設立しました。おなじ年に住んでいたアパートに入管と警察がやってきて、つかまってしまい、入管に収容されました(1回目の収容)。

収容は8~10人部屋でした。食べ物がまずくて、たいへんでした。強制送還されるかもしれず、毎日がこわかったです。

収容中に入管職員から「あなたは、難民申請できる」といわれました。そこで、難民申請の書類を1時間でかきあげ、提出したところ、仮放免(一時的な開放)されました。

その後も、政治活動やアルバイトなどはつづけていました。はたらいていた会社が大宮市から群馬県館林市にうつったので、住所も、在日ビルマロヒンギャ協会も、大宮市から館林市に転居しました。ところが、ふたたび収容されました(2回目の収容)。

仮放免された後、01年(33歳)に在留特別許可(在留資格)があたえられました。来日して10年目でした。

― 在留特別許可を取得後、どうなされましたか。

01年、ビルマの親がきめたロヒンギャ女性と結婚しました。再入国許可書でタイに行き、彼女もビルマ・タイ国境をこえ、タイ・メーソット町のモスクで結婚しました。妻はヤンゴンにもどり、パスポートをつくってもらい、日本大使館に扶養ビザ申請し、来日しました。

前につとめていた会社では、設計やデザインなどを担当していました。その技術を活かし、06年に中古車販売業にたずさわるようになりました。会社名はアル・フセインインターナショナルトレーディングです。

07年に永住権をとり、15年に日本人国籍となりました。日本名は水野保世です。

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― 日本国籍を取得したのは、どうしてですか。

 

現在、妻と3人の子ども(中学2年生 中学1年生 小学6年生)と暮らしています。

最初の子どもがうまれたとき、出生届けを館林市役所にとどけました。「日本国籍にしたい」と希望したら、「ダメだ」といわれました。「それでは、無国籍にしたい」とつたえると、「それもダメ」でした。しかたなく「ミャンマー」国籍にしました。

さいしょのうちは、日本国籍取得はまったくかんがえませんでした。日本で永住権をとって、ミャンマーでパスポート(市民権)をとればよい、とおもっていたのです。

でも、ビルマで2012年におきたロヒンギャにたいするはげしい迫害に衝撃をうけました。子どもが日本でうまれ、平和であることの大切さをかんじています。子どもが無国籍であることに、不利益をこうむるのではないかと心配でたまりませんでした。それで、日本国籍をとることを決心したのです。OLYMPUS DIGITAL CAMERA

日本国籍であっても、「日本のため」、「ミャンマーのため」、そして「ロヒンギャのために」つくせばよい。そのようにおもっています。

15年、家族と一緒にビルマに一時帰国しました。入国時にヤンゴン国際空港で入管職員は日本のパスポートをうたがっていて、かなり緊張しました。入管でも税関でも、ビルマ語ではなく、英語でやりとりしました。生まれそだったアラカン州は危険なので、滞在はヤンゴンだけにしました。

ドバイやタイなどほかの国にいくと、出入国時にみんな不思議がります。「ほんとうはどこの国ですか」よくきかれます。ビルマでは、出国する際に入管職員から「ミャンマーよりいいだろう」といわれました。

― 館林市のロヒンギャやモスクについておしえてください。

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館林市近辺には約250人のロヒンギャがくらしています。家族連れのロヒンギャ、10代の子どももいます。子どもの日本語教育は、学校でおしえてもらっています。しかも中学校では、ムスリム用にお祈りの部屋をもうけています。

さいしょ、毎週金曜日に羽生市や館林市の公民館の部屋をかりて、お祈りをしていました。夜のお祈りは、初代在日ビルマロヒンギャ協会長の自宅でした。つぎに館林の

一軒家を月に2~3万円で借りていました。

00年に寄付をあつめて、現在の一軒家を買いました。年間数百万円の維持費やイマームへの手当がかかっています。ロヒンギャから毎月1000円を徴収し、それにあてています。不足分はラマダーンなどで寄付をつのっています。

― 今後は。

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在日ビルマロヒンギャ協会は、難民申請者の非収容/非送還、バングラデシュのロヒンギャへの支援、第三国定住の受けいれにかんして、日本政府にはたらきかけています。

世界中にロヒンギャは数百万人います。ビルマ・アラカン、サウジアラビア、バングラデシュ、マレーシアなどです。

彼/彼女らのほとんどが、無国籍状態です。わたしは、オーストラリアに住むロヒンギャ、タイの難民キャンプでのロヒンギャと連絡をとりあっています。その国で生活するのであれば、その国のルールをかならずまもる点を彼/彼女らにつたえています。それは、ロヒンギャがその国で生きていくための唯一の方法だからです。

【イベントレポート】2017年3月12日トークイベント「すてねとカフェ@横浜」の報告

 

3月12日に開催されたトークイベントの報告です!

 

丁章(チョン・ヂャン)氏について【丁氏のレジュメより抜粋】:

1968年、京都市の母の実家で生まれる。在日3世。両親は共に日本生まれの在日2世。父は朝鮮籍、母は韓国籍。1967年結婚時、南北のいずれの政府も朝鮮籍と韓国籍の婚姻を認めていないため、婚姻届けを南北政府のどちらにも届けずに、日本の市役所だけに提出(=日本政府の外国人登録法においての婚姻手続き)。同様に丁章氏の出生届も日本の市役所だけに提出。68年当時は日本も韓国も国籍法は父系優先血統主義であったので、国籍は父の国籍と同じ「朝鮮籍」となった。

トークイベント(1)

トークイベントの内容について:

国籍欄に記載される「朝鮮」は北朝鮮をささない。「朝鮮籍」を国籍という人もいるが、地域名であり記号であって国籍ではないと考える人もおり、丁さんは後者の立場をとる。実際に、丁さんにもパスポートはなく、国民登録もしておらず、無国籍にある。丁さんが経験したことだが、インターネットである国のビザ申請を行った際に「韓国籍」「北朝鮮籍」「無国籍」の欄はあったが「朝鮮籍」の欄はなかった。

トークイベントでは、朝鮮籍、韓国籍、在日コリアンの歴史について第二次大戦中から現代にいたるまでの説明がなされた【レジュメ参照】。その後、丁さんをはじめ「朝鮮籍」を保持し続ける人たちの考え(思想)についても話がおよんだ。

また、丁さんが国籍欄を無国籍に書きかえたいと入管に電話で尋ねたが「朝鮮籍」を無国籍に書きかえることがかなわなかったエピソード、「朝鮮籍」の再入国許可書で海外渡航を計画した際に北朝鮮国民と勘違いされてビザが下りず学会に参加できなかったエピソード、「韓国籍」に書きかえたらいろいろな手続きがスムーズになるとすすめられる経験が何度もあったなど、丁さんの個人的な経験を交えながら分かりやすいトークが進められた。

国民国家と国籍の関係、自然権、自然法、人権、人間解放、幸福が発展する経緯、今の時代に生きる難民や無国籍者などの国民でなくなった人たちの視点、国連が打ち出した無国籍者を撲滅するキャンペーン、無国籍でなくなることが本当に幸福なのかなど大きな視点で無国籍についてお話しいただいた。

 

質疑応答(抜粋):

  • 新垣先生:自身も無国籍者だった政治学者ハンナ・アーレントの話などを交えながら、国籍と人権、nationalityとcitizenship、国連の「I Belong」キャンペーン、難民の封じ込めが制度化している現状などのお話し。
  • 愛沢さん:国籍を持てば幸せなのか、無国籍を撲滅するべきなのか。戦中戦後に、日本に対する絶望を抱きながら敗戦を受け止め、日本人を守るべき日本国籍を失ったという認識の中で上海などで暮らした日本文学者たちの覚悟、無国籍者でもいいのではないかという考えなどについて。
  • 河先生:在日コリアンであるご自身の経験や思い(再入国許可書で渡航した経験、国籍変更による葛藤)について。
  • 丁さん:お子さまの民族名や国籍選択、親族全員で「韓国籍」に国籍変更をさせる圧力があった経験などについて。また、丁さんの親の世代は、日本名を名乗ることで日本の国から守られ、自分の身を守って生きてきたが、丁さんは日本名を名乗ることでは守られるないとの認識を抱くにいたった。そのことからもお子さまの民族名や国籍についてはお子さまの判断を見守りたいとのお考えをお持ちであることを話して下さった。
  • 佐川さん(詩人):先の在日コリアンの詩人は立場はそれぞれ違えど民族への強い思いを抱いて活動していたが、丁さんは在日コリアンであり無国籍であることを「思想」としている詩人であり、それは新世代の新しい詩人の形であると感じる。

 

トークイベントの総括:

無国籍当事者や研究者などさまざまな立場の方々の意見交換がなされた有意義な会となった。

ワンドリンク制(中国茶数種類、コーヒーから好きなものを注文)にしたため、飲み物を飲みながら、くつろいだ雰囲気の中でトークイベントが進められた。私(大島)個人の考えではあるが、内容や会場などで制約はあるだろうが、イベントによってはワンドリンク制を取り入れることで質疑応答がしやすい雰囲気づくりの一助になると感じた。

大がかりな広報活動は行わなかったが、関西から足を運んで下さった参加者もおり、無国籍当事者によるトークイベントへの関心がうかがわれた。

 

トークイベント終了後に「パスポート学」の出版記念祝賀会と懇親会を行った。参加者は15名(うち14名はトークイベントから引き続き参加)。無国籍や二重国籍などについての議論があったり、丁章氏の詩集『在日詩集「詩碑」』を数名が朗読するなど充実した会となった。

 

以上

 

報告者:大島理恵

【イベントレポート】2016年10月1日 講演会「“無国籍”の境遇から見い出した“グローバルに生きる”ということ」@玉川学園

2016年10月1日 無国籍ネットワーク代表 陳天璽が玉川学園の学生たちへ講演を行いました。
講演会の様子が玉川学園のHPへ掲載されましたので、ご案内いたします。

是非ご覧下さい。

 

【イベントレポート】2016年8月30日 無国籍児童支援のための研修@名古屋市児童福祉センター

「名古屋市児童福祉センターで、無国籍児童支援のための研修を実施しました」

  無国籍ネットワークは、2016年8月30日の午後、名古屋市の児童福祉センターで、「無国籍児童への支援」というテーマで研修を実施しました。参加者は合計51名で、会場は満席になりました。半数以上が、区役所の女性・子どもの相談担当職員と保健所の職員でした。

名古屋市中央児童相談所の児童福祉司、大野由香里氏(右)と無国籍ネットワーク理事三谷純子
名古屋市中央児童相談所の児童福祉司、大野由香里氏(右)と無国籍ネットワーク理事三谷純子

この研修は、名古屋市中央児童相談所の児童福祉司、大野由香里氏から、無国籍ネットワークへ法律相談が寄せられたことをきっかけに、実現しました。行政の現場では、緊急対応や、日々の忙しさに追われ、国籍のことは、後回しになりがちです。けれども、国籍に関する問題の多くは、解決までに、複雑な手続きが必要で、長い時間もかかります。子ども自身も国籍に関する状況について十分に理解できるよう、周囲が助けることは、本人の将来設計のためにも重要です。退所間際になって慌てないように、先ず、担当者が、無国籍に関する基本的な知識を得、早期に取り組む意欲を高めることを目標に、研修をすることになりました。

大野由香里氏の挨拶のあと、無国籍ネットワークの理事の三谷純子が、国際編として、無国籍の歴史的な背景、定義、発生の原因や現状、国際社会の取り組みや課題について説明しました。次に、代表の陳天璽が、日本編として、無戸籍と無国籍の違い、在留資格と国籍の認定の関係に基づく無国籍者の類型、婚姻や帰化との関係や、無国籍児の人権について話しました。

%e4%bc%9a%e5%a0%b4引き続き、無国籍状態のまま日本で生まれ育った一人の大学生が、自分の経験や考えを語りました。無国籍ネットワークの奨学金や法律支援を受けている学生です。在留資格は持っていますが、国籍国と考えられる国で出生登録がされていないため、パスポートはありません。国籍に関する問題のため、高校の海外への修学旅行に参加できなかったことや、大学進学後のアパート探しに苦労したこと、自分が希望していた携帯の会社から契約を断られたこと、何かの手続きのたびに、同じ説明を繰り返し、何度も往復し、時間がかかり、心の負担も大きいこと、役所で担当者を決めてもらい少し楽になったこと、日本で生まれ育っているのに、日本語の読み書きはできるのかと聞かれる気持ち、周囲の友達に事情を打ち明けるのは簡単ではなく、相手も理解するのが容易ではないこと、海外旅行の話になると友達の輪に入りにくいこと、問題が解決しないまま何年も過ぎていて、将来への不安もあるけれど、どうせ自分はと思わずに積極的に役目を引き受けて前に出るようにしていること、大学での学びの違いを実感しているので、他の同じような子にも進学を諦めないでほしいことなどを、一つ一つ語りました。また、頑張ってと周囲の人が励ましてくれるのは嬉しいけれど、自分のことなのに、十分に説明されないまま、書類にサインだけするように言われてきたのが辛かった、本当のことが知りたいという気持ちも話してくれました。見知らぬ多くの人の前で、自分の経験や気持ちを正直に話すのには、勇気が必要です。今回は、同じような問題を抱える子どものために役に立てばという気持ちから、参加してくれました。参加者からの研修後のコメントには、「国籍について悩んでいる人がいることを知りびっくりした」、「社会的に自立していく上での困難さがよく分かった」、「このような思いをさせないように気を付けたい」というような反応もありました。

櫻井謙至行政書士によるケース検討
櫻井謙至行政書士によるケース検討

休憩を挟み、質疑応答のあと、無国籍ネットワークの設立当初に関与し、名古屋で開業している行政書士の櫻井謙至氏が、実際のケースについて検討を行いました。参加者が担当している他のケースについての質問にも答えました。個人情報開示請求により、外国人の親についての日本側の記録を確認する方法、強制認知を用いて日本国籍を確認する方法など、実務に役立つ情報の説明もありました。無国籍の解決には、その国の法律だけでなく、実情を踏まえた粘り強い対応や、工夫が必要になることがよくあります。研修終了後も、経験豊富な櫻井氏に質問したい人が後を絶ちませんでした。

参加者のうち41人から、無国籍ネットワークからのアンケートへの回答を得ました。「この研修の内容は、あなたが知りたかったことに合っていましたか?」という質問には、「非常に合っていた」が6人、「かなりよく合っていた」が17人、「普通」が17人、「あまりあっていなかった」が1人でした。「この研修の難易度は?」には、「ちょうど良かった」が9人、「やや難しかった」が30人、「難しすぎた」が2人でした。「この研修の満足度は?」には、「非常に満足」が8人、「かなり満足」が17人、「普通」が12人、「やや不満」が3人、「とても不満」が3人でした。「とても不満」と答えた人たちの理由は、よくわかりませんでした。この3人のコメントを読むと、「無国籍は、奥深く難しいと感じた」という感想はありましたが、「今までに学んだことがない内容だったため、新しい見方や考え方を学習することができた」「今後も研修に参加したい」「具体的な事例について話し合いたい」と述べており、「知りたかったことに合っていましたか」という質問には全員が「かなりよく合っていた」と答え、難易度は「やや難しかった」が2名、「ちょうどよかった」が1名でした。

また、別の5人からは、職員研修報告のフォーマットでの回答をいただきました。「講義内容が理解できましたか?」と「業務に活用できる内容でしたか?」いう二つの質問には、10点満点で10点が2名、8点が1名、6点が1名、4点が1名でした。

両方のアンケートのコメントには、「いろいろ考える良い機会になった」、「新しい知識を得ることができた」、「時間が足りなかった」、「具体的なケースの検討を通してもっと学びたい」、「研修を継続してほしい」という声が多くありました。国民として認められているのか調査をせずに、日本での書類には国籍が記載されていることに驚いたと複数の人が述べていました。在留資格と国籍を分けて考える必要性、無国籍と無戸籍の違い、日本で在留カード上無国籍と記載されることのメリットとデメリットを初めて知った人も少なくなかったようです。「無国籍は、難しいというより複雑」、「今までなんとなく、自分が無国籍に悪いイメージを持っていたのは無知によるものだったと気がついた」、「支援側と当事者の権力関係の話にはっとした」、「国籍って何だろうと改めて考えさせられた」、」等の感想も寄せられました。研修後の感想として、大野氏が、「難しい内容であったれども、今後取り組んでいくべき課題だと大半の参加者が受け止めていて、うれしかった」と述べたように、当初の目的は達成できたようです。

%e5%90%8d%e5%8f%a4%e5%b1%8b%e5%85%90%e7%9b%b8研修をした側としては、区役所の担当者の平均的な知識のレベルやニーズについて、実感を持って把握することができました。今後、同様な対象者に研修を実施していく際に、役立てていきたいと考えています。国際法や国際的な取り組みを知ることができてよかったという声もありましたが、今回の参加者の多くは、むしろ、目の前の実際のケースの解決に役立つ実務的なノウハウに強い関心を持っていました。研修の時間は限られているので、参加者の知識のレベルや関心に合わせ、内容を厳選し、時間配分を考えることは大切です。実際のケースを検討するには、当事者の了解を取る必要もあります。

無国籍ネットワークは、限られた人数がボランティアで活動している団体なので、自分たちが直接できることには限界があります。けれども、今回の研修を通して、児童相談所と地元の行政書士の先生の繋がりが生まれ、大野氏は、当事者の大学生にピア・カウンセラーのような立場で子どもに関与する機会を作ることを考えて下さっています。このような、協力の輪を、今後も少しずつ広げていきたいと考えています。

2016年10月5日

無国籍ネットワーク理事 三谷純子

【イベントレポート】2016年9月7日〜13日 タイスタディツアー

2016年9月7日〜13日にタイスタディツアーが開催されました。

本ツアーは、無国籍ネットワーク会員である立教大学社会学部准教授 石井香世子氏が企画・準備をを担当され、立教大学社会学部石井ゼミ、東京大学東洋文化研究所 池本研究室との合同企画として、開催されました。

現地での様子をツアーに参加された鈴木崇仁さんがまとめて下さったので、ご紹介いたします。

 

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させていただき、無国籍の人々に対する法律相談の様

子を見学しました。そこでは、どのようにすれば国籍

を取得できるようになるかを相談していました。みな

さん、真剣な様子で互いの話を聞いていました。タイ

人であることは思ったよりも様々な方法で証明できる

ことが分かりました。

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ても広いので、大学内の人々はバイクやバ

スなどで移動していました。ここでは無

籍にするセミナーが開かれ、日本とタイ

の無国籍問題を研究している者同士で親交

を深めました。

 

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きました。終始、和やかな雰囲気の中でインタビュー

が行われ、今までの人生で経験したことをお話しして

いただきました。無国籍ということが障害になった経

験もあったそうです。無国籍方の生の声を聴くという

貴重な体験をすることができました。

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聞きしました。インタビューはこの方の自宅で行われ、

お水を出してくれるなど、親切な対応をしていただき

ました。タイに来るまでの過酷な体験の話や、今現在

の生活の様子をお話しいただきました。また、家の中

でインタビューが行われたので、実際の暮らしぶりを

体感できる貴重な機会となりました。

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Thanmmasat大学のランパーンキャンパスで

無国籍に関するシンポジウムが開かれました。

ここではタイ国内において無国籍問題に取

組んでいる多くの人々が出席しました。各団

体からプレゼンテーションが行われ、現在の

無国籍の状況を知ることができました。

鈴木 崇仁

【イベントレポート】2016年6月29日「第1回 無国籍について基礎から学ぶ」無国籍ネットワーク・トークイベント

今年、無国籍ネットワーク運営委員会は数名の新しいメンバーを迎えました。また、早稲田大学の学生を中心に2年前に設立された無国籍ネットワークユースの活躍の場も広がっています。そこで、基礎から無国籍についてしっかり学ぶため、ご関心のある皆さまにもご参加いただき、トークイベントを開催していくことにしました。

本年度第1回目(2016年6月29日)は「無国籍と国籍法」、「日本における無国籍少数民族ロヒンギャの実態」の二つをテーマに取り上げました。平日夜にもかかわらず、18名が早稲田大学に集まりました。

 

「無国籍と国際法」では、無国籍ネットワークの運営委員に就任したばかりの秋山肇が、国際法と国内法の違い、条約と慣習法の違い、という基礎から説明を始めました。更に、無国籍の定義や、二つの無国籍に関する国際条約の特徴について詳しく解説し、それから無国籍に関係する他の国際条約や国連高等弁務官事務所の役割について簡単に触れると、35分はあっという間に過ぎました。質問が次々にでました。「無国籍者の地位に関する条約」で定められている権利が定着の度合いにより異なるという説明に対し、その定着の度合いの基準とは何か。国家にとって無国籍に関する国際条約を締結するメリットとは。質問への答えを含め、詳しい情報は、秋山が調査を手伝い、翻訳も担当した新垣修著『無国籍条約と日本の国内法』にも記されていますが、難しいと敬遠しがちな法律の要点をわかりやすく解説してもらい、皆、確かな一歩を踏み出せたようです。

 

休憩後、「日本における無国籍少数民族ロヒンギャの実態」について、池辺利奈から、群馬県館林でのインタビュー調査に基づく報告を聞きました。池辺は、2015年から無国籍ネットワークの運営委員として会員管理を担当しています。池辺の報告は、無国籍であることや、ロヒンギャであること、日本での暮らし等についての当事者の見解に焦点を当てたものです。極限られた人数を対象にした予備調査の結果なので、一般化はできませんが、ミャンマーを出る前には、ロヒンギャであることを隠し、恥ずかしく思っていた人が、国境を渡り、自分たちの状況への理解を深め、ロヒンギャであることに誇りを持つようになったという変化や、子どもたちへのロヒンギャの文化継承への努力と日本社会適応への積極的な姿勢、また、彼らが抱える問題等が説明されました。調査手法や、子どもの服装や食べ物等についての質問が続きました。仮放免についての質問には、参加者の方が、ご自身の支援経験をシェアしてくださいました。

 

出席者へのアンケートでは、「日本でも理解を深めていくことが大事だ」等の感想が寄せられました。無国籍ネットワークは、国際社会や国家の定めた枠組みの中での法的支援と共に、アイデンティティや帰化等に悩む人の心に寄り添い、法律だけでは解決できない当事者の気持ちも大切にしています。無国籍について様々な視点から学ぶトークイベントを今後も実施していきます。

 

三谷純子(無国籍ネットワーク理事)東京、2016年7月6日

グレッグ・コンスタンティン氏講演:立教大学社会学部 2016年5月30日

rikkyo1 「小さな両手に握られた、1冊のノート。この写真は、今日わたしが皆さんにお見せする全ての写真の中で、もっとも重要な1枚です」――その不思議な言葉に、誰もが首を傾げました。砂漠地帯を歩く、見るからに極貧に打ちひしがれた女性の写真。暗い部屋のなか、僅かに差し込む日光に照らし出される虚ろな眼差し…。これまで映し出された写真は、そのどれもが生きる希望を奪われ、「生きながらにして亡霊と同じ存在」である無国籍者の生き様を、これでもかと訴えかけていたからです。

一息ついて、先生は説明を始めました。「この小さな両手の持ち主である少年は、家の奥から粗末なノートを持ちだしてきて、最後の1ページをめくって、私に見せたのです。一生懸命に。そこには--そう、この写真に写されているページです。その少年の父親が亡くなる直前、最後の気力を振り絞って書いた、全ての彼の子どもたちの名前と生年月日が書いてありました。父親が書き残したこの手書きの名前と生年月日のリストだけが、この少年とその兄弟が持っている、唯一の生まれてきた証なのです。これ以外には何ひとつ、この世の中に身分証明を持たない子どもたちに、父親が残した唯一の宝物が、このノートなのでした。」

Constantine先生の講演は、ただ画像があるからというだけでなく、ひとつの画像が現れるたびに、まずその背景にある個人的な無国籍者としての経験が語られました。そして次に、なぜそうした経験をしなければならない人が生まれたのかという、地域的・歴史的な文脈が説明されました。そして最後に、なぜConstantine先生がその写真を撮ったのか、その意図が述べられるのです。最初から最後まで、プロジェクターに写真が1枚現れるごとに、教室全体の沈黙が深くなっていく講演でした。

ご講演の最後には、とても時間が足りないほど多くの質問が出ました。聴き手の我々にとって、いちばん印象的だったのは、「どうして先生の写真は、いつも白黒写真なのですか」という学生からの質問に対する先生の答えだったかもしれません。「今の時代、カラーの写真は便利にいくらでも取ることができるけれど。人々の印象に残るのは、昔ながらの、シンプルな白黒写真だと思うから」。もしかすると先生自身の生き様が、その言葉に重なるのかもしれません。インターネットで情報を何でも得られる便利な時代と人々が言う今このときに、世界の各地に足を運び、人々と会話して、自分の目と耳と心で理解しようと努力している、その姿に。

rikkyo2 そして最後に。Statelesss Network YouthのTimさん、Maryさんのお2人の通訳がなければ、この講演会は成功しませんでした。お2人とも--とくに昼食も抜きで大活躍してくれたTimさん、どうもありがとうございました。

石井 香世子 立教大学社会学部准教授

第12回すてねとカフェin大阪 (3月15日)

第12回すてねとカフェin大阪が3月15日(火)に開催され、10名の方が参加しました。無国籍者のシャンカイさん、丁章さん、そして国際法学者で国際基督教大学教授の新垣修先生の話があり、その後の議論なども盛り上がり、みんなで有意義な時間を過ごすことができました。以下、当日の様子をまとめましたので、是非ご覧ください。

新垣先生からシャンカイさんへのインタビューを中心に、シャンカイさんが生い立ちを語り、次のように話しました。

シャンカイさんと新垣先生のインタビュー
シャンカイさんと新垣先生のインタビュー

「祖国はミャンマー(ビルマ)だと自分が思うのは、親の教育(意識)の影響が大きい。行ったことのないミャンマーの国籍を今は取得するつもりはない。

無国籍者であることで講演依頼があり、多くの人が自分の話を聞いてくれることはありがたい。無国籍者であることにも意味があると思えるようになった。

将来ララさんのように本を書きたい。

就職先の会社は海外での仕事はなく、無国籍者であることは就職条件において問題にならなかった。帰化(日本国籍取得)は今のところ考えていない(日本国籍を日本国からくれるというならもらってもいい)。

再入国許可書で韓国に入国する際に、2時間ほど入管で調べられて海外旅行がトラウマになった。旅が趣味なので、学生のあいだに海外旅行をもっとしたかった。」

丁章さんは、新垣先生の「UNHCR報告書・無国籍条約と日本の国内法」などのテキストを基に、「朝鮮」籍者という「事実上の無国籍者」としての信条を話しました。

「無国籍者を無くすというUNHCRの方針への疑問、無国籍者に対して当事者の信条に反する国籍(国民性)を国家が強引に『かぶせてくる』こと(人権侵害)への恐怖心など、国籍問題は便第12回すてねとカフェ大阪① - Copy宜上の国籍取得で片付く問題ではない。国家の絶対性が揺らぐ昨今の世界情勢において、はたして国家や国境の壁を強化する方向へ立ち戻るべきなのか、これから考えてゆかねばならない課題であろう。」

新垣先生は、「この数年で無国籍問題は大きく動いている、法学者としての新しい研究の必要性を感じる。」と話されました。

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