アウン・ティンさんの語り 文責:山村淳平    

5月27日におこなわれた連続セミナー第1回「ビルマ・ロヒンギャのゆくえ」において、アウン・ティンさんがかたられた内容をここにまとめます。

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― ビルマでは、どのような暮らしをしていましたか。

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わたしは、1968年のアラカン州モンドーにうまれました。6人兄弟の4番目です。父は警察管でした。当時ロヒンギャは、軍人にも、警察管にも、採用されていました。学校ではサッカー、バレーボールなどで一緒にあそんだりしていましたし、仏教のお祭りやムスリムのお祭りなどでは、おたがいに行き来していました。民族の差別は感じませんでした。

20歳(1988年)の時、おおきな事件がおきました。民主化運動です。わたしはそれに参加し、デモをおこなっているところを警察につかまりました。保釈されましたが、実家にすんでいると、警察や軍隊につかまる恐れがあるので、田舎の親戚や、学校(空いている教室がある)などを転々としました。

その後ヤンゴン市で民主化活動にふかくかかわるようになったので、かなり危険でした。そこで、パスポートをつくってもらい、ビルマを出国し、タイとマレーシアを経由して、、サウジアラビアに住むようになりました。

サウジアラビアのお店ではたらいていていても、民主化活動のおもいはつよくありました。たまたま在日ビルマ人協会(民主化活動の団体)のニュースレターを読み、日本ゆきをつよく希望しました。すぐに日本大使館で3か月の観光ビザをもらい、92年日本にきました。

― 来日後、どのように過ごされましたか。

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茨城県のロヒンギャ系バングラデシ人のお世話になり、導線をつくる工場でアルバイト生活するようになりました。毎日日本語の勉強をしていると、日本人の同僚も親切に仕事や日本語をおしえてくれました。在日ビルマ人協会にパスポートのビザ切れや難民申請を相談したところ、「難民申請すれば、入管(入国管理局)につかまり危険」といわれました。

その後埼玉県大宮市にうつり、塗装やクレーン作業のアルバイトをするようになりました。難民申請していないので、オーバーステイ(非正規滞在)の状態がつづいていました。OLYMPUS DIGITAL CAMERA

94年、ロヒンギャの存在をしってもらうため、在日ビルマロヒンギャ協会を仲間7人ともに設立しました。おなじ年に住んでいたアパートに入管と警察がやってきて、つかまってしまい、入管に収容されました(1回目の収容)。

収容は8~10人部屋でした。食べ物がまずくて、たいへんでした。強制送還されるかもしれず、毎日がこわかったです。

収容中に入管職員から「あなたは、難民申請できる」といわれました。そこで、難民申請の書類を1時間でかきあげ、提出したところ、仮放免(一時的な開放)されました。

その後も、政治活動やアルバイトなどはつづけていました。はたらいていた会社が大宮市から群馬県館林市にうつったので、住所も、在日ビルマロヒンギャ協会も、大宮市から館林市に転居しました。ところが、ふたたび収容されました(2回目の収容)。

仮放免された後、01年(33歳)に在留特別許可(在留資格)があたえられました。来日して10年目でした。

― 在留特別許可を取得後、どうなされましたか。

01年、ビルマの親がきめたロヒンギャ女性と結婚しました。再入国許可書でタイに行き、彼女もビルマ・タイ国境をこえ、タイ・メーソット町のモスクで結婚しました。妻はヤンゴンにもどり、パスポートをつくってもらい、日本大使館に扶養ビザ申請し、来日しました。

前につとめていた会社では、設計やデザインなどを担当していました。その技術を活かし、06年に中古車販売業にたずさわるようになりました。会社名はアル・フセインインターナショナルトレーディングです。

07年に永住権をとり、15年に日本人国籍となりました。日本名は水野保世です。

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― 日本国籍を取得したのは、どうしてですか。

 

現在、妻と3人の子ども(中学2年生 中学1年生 小学6年生)と暮らしています。

最初の子どもがうまれたとき、出生届けを館林市役所にとどけました。「日本国籍にしたい」と希望したら、「ダメだ」といわれました。「それでは、無国籍にしたい」とつたえると、「それもダメ」でした。しかたなく「ミャンマー」国籍にしました。

さいしょのうちは、日本国籍取得はまったくかんがえませんでした。日本で永住権をとって、ミャンマーでパスポート(市民権)をとればよい、とおもっていたのです。

でも、ビルマで2012年におきたロヒンギャにたいするはげしい迫害に衝撃をうけました。子どもが日本でうまれ、平和であることの大切さをかんじています。子どもが無国籍であることに、不利益をこうむるのではないかと心配でたまりませんでした。それで、日本国籍をとることを決心したのです。OLYMPUS DIGITAL CAMERA

日本国籍であっても、「日本のため」、「ミャンマーのため」、そして「ロヒンギャのために」つくせばよい。そのようにおもっています。

15年、家族と一緒にビルマに一時帰国しました。入国時にヤンゴン国際空港で入管職員は日本のパスポートをうたがっていて、かなり緊張しました。入管でも税関でも、ビルマ語ではなく、英語でやりとりしました。生まれそだったアラカン州は危険なので、滞在はヤンゴンだけにしました。

ドバイやタイなどほかの国にいくと、出入国時にみんな不思議がります。「ほんとうはどこの国ですか」よくきかれます。ビルマでは、出国する際に入管職員から「ミャンマーよりいいだろう」といわれました。

― 館林市のロヒンギャやモスクについておしえてください。

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館林市近辺には約250人のロヒンギャがくらしています。家族連れのロヒンギャ、10代の子どももいます。子どもの日本語教育は、学校でおしえてもらっています。しかも中学校では、ムスリム用にお祈りの部屋をもうけています。

さいしょ、毎週金曜日に羽生市や館林市の公民館の部屋をかりて、お祈りをしていました。夜のお祈りは、初代在日ビルマロヒンギャ協会長の自宅でした。つぎに館林の

一軒家を月に2~3万円で借りていました。

00年に寄付をあつめて、現在の一軒家を買いました。年間数百万円の維持費やイマームへの手当がかかっています。ロヒンギャから毎月1000円を徴収し、それにあてています。不足分はラマダーンなどで寄付をつのっています。

― 今後は。

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在日ビルマロヒンギャ協会は、難民申請者の非収容/非送還、バングラデシュのロヒンギャへの支援、第三国定住の受けいれにかんして、日本政府にはたらきかけています。

世界中にロヒンギャは数百万人います。ビルマ・アラカン、サウジアラビア、バングラデシュ、マレーシアなどです。

彼/彼女らのほとんどが、無国籍状態です。わたしは、オーストラリアに住むロヒンギャ、タイの難民キャンプでのロヒンギャと連絡をとりあっています。その国で生活するのであれば、その国のルールをかならずまもる点を彼/彼女らにつたえています。それは、ロヒンギャがその国で生きていくための唯一の方法だからです。

【ラジオ番組出演のお知らせ】2017年3月3日(金)20:00 – 21:50 J-WAVE「JAM THE WORLD」

2017年3月3日(金)、J-WAVE(東京のFMラジオ局)の「JAM THE WORLD」という番組に代表の陳天璽が出演し、無国籍問題から「国籍」や「アイデンティティ」についてお話しさせていただきます。

是非、ご視聴ください。

 

 

番組概要・・・

放送局   J-WAVE (81.3MHz)

番組名   「JAM THE WORLD」

放送時間   2017年3月3日(金) 午後8:00~9:50

(陳の出演は午後8時55分から約30分の予定です。生放送。)

ナビゲーター 青木理(ジャーナリスト)

番組HP・・・http://www.j-wave.co.jp/original/jamtheworld/

無国籍ネットワーク代表 陳天璽の著書『無国籍』の中国語訳が出版されました

無国籍中国語版

無国籍ネットワーク代表 陳天璽の著書「無国籍」が馮秋玉氏によって中国語に翻訳され、台湾の八旗文化から出版されました。 これを記念して、出版発表会や座談会等が7月末8月初旬に誠品信義書店などで盛大に行われ、中廣ラジオ放送、中國時報、風傳媒などからも取材を受けました。
出版社のブログ記事はこちら
風傳媒のインタビュー記事はこちら

 

『無国籍』は、日本語で2005年に新潮社から出版され、2011年には文庫本にもなり、今も読み継がれています。台湾ではビザがなければ入れないといわれ、日本では再入国許可書の期限が切れていたことを失念していたために入国できないといわれ、途方に暮れた陳自身の経験が冒頭に語られています。海外旅行で出入国審査を受けたことのある人なら、誰でも、自分がそうなったらと具体的に想像できるような状況を描くことにより、多くの人が無国籍について身近に感じ、関心を持つきっかけになりました。

 

中国語版が出版されることになったのは、この本を読んで感銘を受けた読者の一人、台湾人の陳思宇氏(台湾大学歴史学博士・内容力運営企画長)の努力によるものです。無国籍者の存在や気持ちを知ってほしいという陳天璽の気持ちが、陳思宇氏を動かし、翻訳により、世界中の膨大な中国語読者にも、無国籍について知ってもらえる機会が増えたのです。中国語版は、日本でも華都飯店で入手することができます。

 

この本には、何故両親が無国籍になることを選ばざるを得なかったのかという歴史的な背景、中華街で育ち、アメリカに留学し、研究者として就職し、日本へ帰化する間に経験した無国籍であったために生じた出来事、更に、調査で出会った様々な無国籍の人々についても生き生きと描かれています。国が帰属やアイデンティティを決定し、何々人と人々を分類することを当然とする国民国家体制の中で、何人とも認められないことに寄る辺のなさを感じ、私は何人かという問いに悩む無国籍者の気持ちが語られます。その気持ちは、理由は全く異なっても、本当の自分は誰なのかという疑問を感じたことのある多くの人にとって、どこか共感できる面もあります。この本は、アイデンティティは一元的なものではないことに気づき、家族や周囲の人たちに囲まれ、愛着のある場所で、自分自身として生きることに自信を得ていく、一人の若い女性の成長の物語としても読むことができます。

 

「自分のことを書くなんて、本当は嫌だったけれど、皆に無国籍を知ってもらえてよかった」と語る著者による、台湾読者の反応、10年間の変化等についてのトークイベントを開催する予定です。予定が決まり次第ご案内いたします。

 

(2016年8月9日 三谷純子 無国籍ネットワーク理事)

雑誌ウィラーン(We Learn)7月号で無国籍ネットワークが紹介されました

公益財団法人日本女性学習財団の月刊誌ウイラーン(We Learn)、2016年7月号で、無国籍ネットワークとユースの活動について紹介していただきました。この雑誌は、1952年に始まり、既に754号を数え、毎号、様々な団体の活動を紹介しています。記事は、「国籍の有無にかかわらず幸せにくらすために活動を続けていく」という題名で、無国籍ネットワークの理事・運営委員の三谷純子が執筆しました。
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Stateless Network Youth がJapan News / 読売新聞でフィーチャーされました

This is the English version of a story that appeared in the Daily Yomiyuri in Japanese (translated February 25th 2016) featuring students involved with our partner organisation Stateless Network Youth.

皆様今日は讀賣新聞に載っ記事でStateless Network Youth (ステートレス・ネットワーク・ユース)の学生メンバーを取り上げたものが英訳され、英字新聞にも載ったそうです。(英訳2月25日)

http://the-japan-news.com/news/article/0002752217

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